セルビア建国までの歴史|何年成立?

ビザンチン帝国(東ローマ帝国)の版図から脱し、1171年に成立した中世セルビア王国が、国家としてのセルビアの始まりです。この国は、14世紀にはバルカン半島最大の大国にまで拡大しました。

 

しかし同時期、東方ではオスマン帝国が勃興していました。両国はコソボの戦い(1389年)で相対し、セルビアは敗北。これをきっかけにオスマン・トルコ帝国による征服がみるみる進行していき、1459年に国家としてのセルビアは1度滅ぼされています。

 

近代セルビア王国の成立

しかし近代に入りある程度の自治を回復し(1817年:セルビア公国の成立)、露土戦争(ロシア・トルコ戦争)の勃発で、ロシア帝国勢力として戦勝国となったことで、王国として返り咲きに成功しました(1882年:セルビア王国の成立)。

 

ユーゴスラビア王国の成立

第一次世界大戦終結後、戦勝国となったセルビア主体の、モンテネグロ、スロベニア、クロアチア、ボスニアで構成される連邦国家ユーゴスラビア王国が誕生します。

 

セルビア・モンテネグロの成立

しかし主導権争いにおいて、セルビアとクロアチアはことごとく対立しました。第二次世界大戦後、チトー指導のもとに民族融和を成し遂げたものの、根深い軋轢は解けないままでした。

 

そして、ついにクロアチアやボスニア・ヘルツェゴビナに武力侵攻するにいたり、多大な犠牲を生み出したユーゴスラビア紛争に発展します。民族対立はもはや修復不可能なものとなり、スロベニア、クロアチア、ボスニアが連邦から離脱し、1992年1月にユーゴスラビア王国は崩壊しました。

 

同年4月に、残ったセルビアとモンテネグロの2国で旧ユーゴスラビア連邦の国連議決権を継承し、新ユーゴスラビア連邦を発足させ、2003年2月に国名をセルビア・モンテネグロに変更しました。

 

セルビア共和国の成立

しかしセルビア・モンテネグロの連立体制も長くは続きませんでした。もともとモンテネグロも、国家連合の運営に非協力的姿勢であり、2006年にモンテネグロで住民投票が実施され、国家連合からの離脱が決定したのです。

 

セルビア・モンテネグロは解体となり、残ったセルビアは2006年6月5日にベオグラードを首都とする共和制国家としての歩みを進めることとなり、現在にいたっています。

 

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